ミニマリスト日和

ミニマリスト日和

夫婦でミニマリスト。スッキリだけど落ち着く部屋を目指して。

飛行機雲が消えるまで、ずっと考えていた。BANANA FISHの結末について。

原稿の大部分の作業を終えて、数時間ぽっかりと空き時間が生まれたので、

ずっとお預け状態で読みたくてたまらなかったBANANA FISHを読み終えた。

そして、あまりにもその結末が受け止められなくて、温泉の露天風呂でこの物語について考えていた。

この作品は、多分一生心に居座り続けることになった、のだと思う。

露天風呂からは街が見える。夕日が沈んで、淡い紫と水色の空に、飛行機雲が2本跡を残していた。その飛行機雲が消えるまで、ずっと考えていた。

 

BANANA FISHあらすじ

1985年、ストリートキッズのボス、アッシュはニューヨークのロウアー・イースト・サイドで、胸を射たれて瀕死の男から薬物サンプルを受け取った。男は「バナナフィッシュに会え…」と言い遺して息を引き取る。ベトナム戦争で出征した際、麻薬にやられて正気を失ったままの兄グリフィンの面倒をみていた彼は、兄が時々つぶやく「バナナフィッシュ」と同じことばを聞き、興味を抱いた。殺された男を追っていたのは暗黒街のボス、ディノ・ゴルツィネ。アッシュは男と最後に接触した者としてディノに疑われる。雑誌の取材でアッシュと出会った、カメラマン助手の英二も巻き込んで事件は思わぬ展開を見せ…。

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ここから先、おおいにネタバレしています。

 

 

BANANA FISH(19) BANANA FISH (フラワーコミックス)

どういう道筋をたどってそうなるのか、詳細は知らなかったけれども、

アッシュが死んでしまうことは知っていた。(20年以上前に完結してる物語だからね。)

 

アッシュはなぜ死ななければならなかったのだろう?

長年支配されて苦しめられ続けてきたディノ・ゴルツィネからも解放され、フォックス大佐は死に、バナナフィッシュは塵と消え、ようやく平和が訪れたと思った19巻の始まりだった。

 

英二がN.Y.を発って日本へ帰るその日、シンがアッシュの元へ手紙を届けに来る。

英二からアッシュにあてた手紙だ。

アッシュは、二度と剣や銃がないと生きられないこの世界に英二を立ち入らせないようにと、見送りにも行かないつもりでいた。

図書館のベンチで手紙を開く。

 

君は何度もぼくに聞いたね

”おれが恐ろしいか?”と

でも ぼくはーー

君のことを恐ろしいと思ったことは

一度もないんだ

初めて会った時から

 

それどころか、君はぼくよりずっと傷ついてる

ーーそんな気がしてしかたなかった

おかしいだろう?

君のほうがぼくよりずっと頭もいいし

身体も大きく力も強い

それなのにぼくはーー

 

君を守らなければ

と ずっと思っていた

 

ぼくは何から君を守りたかったんだろう?

 

BANANA FISH(19) BANANA FISH (フラワーコミックス)

 

アッシュは弾かれるように立ち上がって、もう一度英二に会いに行こうとする。

そして、ナイフで刺された。

シンの兄ラオが、アッシュとシンで一騎打ちさせないために、彼を殺そうとずっと様子を伺っていたのだ。

どんな極限状態でも、鍛え抜かれた勘で、自分の命を狙う者の気配を察知せずにはいられなかったアッシュが、英二からの手紙で気が緩んだのだ。

 

アッシュは死に場所を求めるように図書館のテーブルへ戻る。

君は1人じゃない

ぼくがそばにいる

ぼくの魂はいつも君とともにある

 

 BANANA FISH(19) BANANA FISH (フラワーコミックス)

 

英二からの手紙を読んで、天を仰ぐ。

そして、幸福そうな笑みを浮かべて眠るように息絶えた。

 

それはあまりに美しいラストだった。

悲しい物語を美しいと思ってしまうのはなぜだろうね?

でも、あんまりだ。あまりにも悲しすぎる。全然このラストが受け止められない。

何度見ても、そのページをめくるたびに涙がぼろぼろぼろっと溢れてきてしまって。

どうしてアッシュは死ななければならなかったのか?

日本に行くなり、NYでゴロツキを取りまとめたり、あるいはどこか全然違う場所にいって、運命は変えられたって言って生きてほしかった。

 

アッシュは、マッチ売りの少女だったのではないか。

それは、悲劇は物語を美しくするから。はじめからあの結末は用意されていたんだろうなぁと思う。

でも、どうしても、幸せに生きることはできなかったのかな。

 

それで、この物語が悲劇として終わらなければならなかった理由について、考えていた。

露天風呂からは街が見える。夕日が沈んで、淡い紫と水色の空に、飛行機雲が2本跡を残していた。その飛行機雲が消えるまで考えていた。

 

それで思ったのは、アッシュは『マッチ売りの少女』だったのかなってことだった。

マッチ売りの少女ってあまりにも悲しい結末だ。

 

あらすじ

年の瀬も押し迫った大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべてを売り切るまでは家には帰れない。しかし、街ゆく人々は、年の瀬の慌ただしさから少女には目もくれず、目の前を通り過ぎていくばかりだった。

夜も更け、少女は少しでも暖まろうとマッチに火を付けた。マッチの炎と共に、暖かいストーブ七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えるという不思議な体験をした。

天を向くと流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言ったことを思いだした。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れた。マッチの炎が消えると祖母も消えてしまうことを恐れた少女は、慌てて持っていたマッチ全てに火を付けた。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。

しかし、この少女がマッチの火で祖母に会い、天国へのぼったことは誰一人知る由はなかった。

マッチ売りの少女 - Wikipedia

 

貧乏な家に生まれ、父親にマッチを売るまで帰ってくるなと言われ、外で寒さに耐えるためにマッチを擦り、幸せな幻影を見て永遠の眠りにつく。

BANANA FISHは、まるであの物語みたいに悲しいなと思った。

アッシュの最期は、まるでマッチを擦って幸福な幻影を見ているみたいだ。図書館の司書に、うたた寝していると思われるくらい幸せそうな顔をして逝ってしまう。

 

それで思った。

この物語がいつの時代のものかは知らないのだけれど、その当時は貧しい家庭というのは多くあったのだろうと。

今の日本みたいに、国民のほとんどみんなが食べるものに困らず家もあって生きていけるような世界ではなかっただろうと。

おとぎ話はお城に住む裕福な王族について描いたものが多いけれど、市井の人々にも人生がある。

めでたしめでたしってお話ではないけれど、貧しさで死にゆく人々にも物語があって、その人が死んでいくその一瞬に幸福な時間があったと思いたい、幸福な時間を用意して眠りにつかせてあげたい、そんな物語を贈りたい。

マッチ売りの少女の作者アンデルセンは、そんなことを思ったかもしれない(し、思わなかったかもしれない)。

 

ストリートキッズが抗争を起こすのが日常茶飯事の世界で、そこで死にゆく子供がたくさんいたとして。

彼らにも人生があって、ほんのひと時幸福な時間もあって死んでいったと、そういう物語を贈りたいと思ったのではないかって、そう考えた。

だとすれば、アッシュが死ぬことは予め定められていたことになる。

 

悲劇性によって、この作品は読んだ人の心をえぐって一生居座る存在になった。

そして、悲劇であることで、読んだ人のトラウマになる。

一生忘れられない作品になる。

アッシュが死んだ悲しみを一生抱えて生きる英二のように、

読んだ人にとってバナナフィッシュと言う作品は、「一生残る傷」みたいな存在になる。

 

もしこれが手放しで喜べるハッピーエンドで終わっていたらどうだろう?

それでも美しいし素晴らしい作品だけど(ハッピーエンドで受け継がれる名作ももちろんたくさんある)、トラウマにはならないよね。

少なくとも、誰かの心をえぐってそこに一生居座り続けるってことは、ないんじゃないかと思う。

人魚姫やロミオとジュリエットが後世に受け継がれてきたのはなぜ?それが悲劇であったがゆえに、「どうしてこうなってしまったんだ?もっとこうできたんじゃないか?なぜ?幸せな結末に至る方法はなかったのか?」といつまでも考え続けることになる。その問いを後の時代の人にも与え続ける。

アッシュの死によって、この作品は読んだ人の心に居座り続けることになった。

 

 

だから、アッシュは死ななければならなかったんだと言い聞かせる。

それでも、やっぱり、幸せな結末を迎えてほしかったと願わずにはいられない。

日本で、本場の納豆を食べてうへぇって言うアッシュが見たかった。

英二の故郷である出雲を二人で歩いてほしかった。

永遠に一緒にいることはできなくても、それぞれにパートナーができておじいさんになった時に、手紙をやりとりしたりなんかして、いつも心はそばにいて、

どちらかが先に亡くなったことを知り、陽だまりの中相手を思ってそっと涙を流すような、

そんな幸せな二人の結末を見たかった。見たかったのだ。

 

気持ちの整理がつかなくて、帰り道、FISHMANSの『いかれたbaby』を繰り返し聞いた。

悲しい時に浮かぶのはいつでも君の顔だったよ

悲しい時に笑うのはいつでも君のことだったよ

 

人はいつでも見えない力が必要だったりしてるから

悲しい夜を見かけたら君のことを思い出すのさ

『いかれたbaby』作詞:佐藤伸治

アッシュを亡くした英二の心に寄り添うような歌詞に聞こえてきて、また泣いた。 

BANANA FISHのアナザーストーリーで、本編から8年後を描いた『光の庭』の英二の心境を歌っているように思えて。

 

あまりにもショックだった。

たぶんしばらくはこの作品について考え続けると思う。

同じ沼に沈んでくれる人がいたら嬉しいです。おわり。