ミニマリスト日和

ミニマム飯手帳

食欲減退気味な現状を打破すべく、食事の記録を絵日記にします。自炊するならマジで10分あれば作れる飯を、をモットーに。外食も中食も取り入れつつ、食欲を湧かせることを優先に暮らしたい。

体が求める味のカツ丼に出会って悔しがった話

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ミサイルが飛ぶと、死ぬ前にうまいもん食べたいって思う。

だから、ミサイルが飛ぶ=カツ丼という謎の回路ができてしまった。

なので今日は、体が求める完璧な味のカツ丼に出会って悔しがった話をします。

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体が求める味のカツ丼に出会って悔しがった話

 

思えば、私は食べ物の中で一番渇望するものはカツ丼だったのではないかと気付いた。

狂おしいほど食べたくなるものって、幼少の頃からずっと変わらずカツ丼だったんだ。

 

始まりは保育園かな。

とある神社の近くにあったうどん屋さんで食べたカツ丼が完璧なハーモニーだった。

だしの味、ほんのりとした甘み、分厚くてサクサクして程よくふやけた衣。

その店に行くたびにカツ丼を食べていた覚えがある。

その店も確か中学生の時につぶれてしまった。

それから、理想のカツ丼を追い求める旅が始まった。

週に一度、日曜日は外食の日と決まっていた。

行き先が決まっていない時には、決まってカツ丼を食べられそうな店に行った。

 

親とだけでなく、友人宅でお泊まりする時には自転車を走らせて、ネットで見つけたカツ丼屋に足を運んだ。

それでも、思い出のうどん屋で食べたカツ丼を上回るものには出会えなかった。

思い出の中のカツ丼はどんどん美化されていっているのかもしれない。

 

カツ丼が重要な意味合いを持つ作品たち

カツ丼が重要な意味合いをもって登場する作品を読んでは、カツ丼への愛を募らせた。

例えば、有名なところだとよしもとばななの『キッチン

物語の重要なシーンにカツ丼が登場する。

それはそれはおいしいカツ丼を食べた主人公は、大切に思うけれど離れていこうとしていたある人のもとに、とにかくこのカツ丼を届けようと走る。

カツ丼がきっかけでもう一度繋がれる縁。カツ丼大活躍。

キッチン

キッチン

 

 

 

例えばハチミツとクローバー の8巻。

あゆは真山が好き、真山はりかさんが好き。真山はりかさんの事務所で働いていて、あゆはたまりかさんの事務所に手伝いに行く。

りかさんの事務所で、あゆと真山とりかさんの三人で夜にカツ丼の出前をとる。

真夜中にほんの少しのカツ丼しか食べられなくて、残してしまうりかさん。

俺がもらいますよ、という真山からカツ丼を奪いとるあゆ。

泣きながらかっこむカツ丼。

あのほんのり甘くてだしのきいたカツ丼は泣いている体に染み渡るだろうなと想像する。

読めば読むほど舌の上に、あのカツ丼にからまる卵のあまい味が広がる。カツ丼、大好きだ。じゅる。

ハチミツとクローバー (8) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

ハチミツとクローバー (8) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

 

 

これからおばあちゃんが煙になるところを見に行く、その晩に 

もうあの日のカツ丼を超えるお店はないのかも。

なんて諦めかけた高校2年の春、おばあちゃんが亡くなった。

夜、京都駅からバスに乗って田舎に行くことになった。

京都駅の八条口側にある飲食店街の奥にひっそりとあるその店で、やっぱりカツ丼を頼んだ。

商業施設の中にあるのに、妙に古びた内装のお店だった。古びた小料理屋、そんな雰囲気だった。

別に期待はしていなかった。普通においしいカツ丼が食べられればそれでよかった。

そこで食べたカツ丼があまりにおいしくて、叫んだ。

これや!と。

 

自分の舌がそんなにいい舌してるとは思えないけれど、

でも脳みそが興奮物質を出すような、完璧に体が求めている味っていうのはわかる。

その味に出会うと、言葉を失って無言で食べてしまうので自然とわかる。

その味だった。

 

これからおばあちゃんが煙になるのを見にいくのだけれど、そんな暗い夜の中、カツ丼を食べたシーンはそこだけ明るく照らされたように覚えてる。

うまいものは生きる活力をくれる。

うまいものを食べられるって最高だ。それだけで生きている意味があるなって思う。

 

それからは、京都駅に立ち寄るたびに食べていたのだけれど、数年後にここもまた店を畳んでしまった。

ご主人、高齢そうだったものな。

 

うまいカツ丼屋の店主がご高齢で、次々と

またカツ丼探しの旅は振り出しに戻る。

そして大学3回生の春休みのこと、

父とふらり近所のうどん屋さんに入った。近いのにお店の存在に気づいたのは最近で、開拓してみようという話になったのだ。

そこでカツ丼を頼んだ。

鍋焼きうどんを出しているお店で食べるカツ丼はおいしい。

だしの味と、ほんのりとした甘みが舌の上に広がって、卵がやさしくて、気づけばカツカツと口にかき込むようにして駆け抜けるように食べる。

本当に心と体が求めるおいしいものに出会うと、言葉を発するのを忘れてしまう。

食べることだけに集中するようになっているのかな、体は。

これはいいカツ丼に出会った。

それから頻繁に足を運んだ。

スポーツ選手にも愛される名店らしく、お店のそこここにサインが並んでいた。

近所にこんないい店があったのに気づかなかったのが惜しまれる。

 

しかし、ここも私が大学を卒業する頃にお店をたたむことになる。

確か、京都新聞に閉店を惜しむ記事が書かれていたと思う。ここもまたご主人が高齢だったと記憶している。

 

異なる食文化圏に住むこと 

そして就職とともに、とある田舎に引っ越した。

味の文化圏が違うらしく、ここで食べるカツ丼はどれも甘すぎて、思い描くカツ丼とはかなりかけ離れたものだった。

「カツ丼」ではなく、「別の郷土料理」だと思って食べればいいのだろうけれど、いかんせん見た目が一緒だから記憶の味との違いに混乱してしまう。

この街でカツ丼を食べるのは諦めようと思った。それから6年の間、私はカツ丼探しをやめた。

 

7年が過ぎたある日、夫が興奮気味に「この街で最高のカツ丼に出会った。」と言った。

昼食でなんとなく立ち寄ったというお店で食べたカツ丼が、それはそれは美味しかったのだという。

「これは過去最高、これはおふみも好きだって言うと思う」

という旨のことを、仕事から帰ってきてから二時間以上に渡って語る夫。

これはよっぽど心を揺さぶられたのだろう。

でも期待はするまい。味の文化圏が違うんだから…。

 

「期待しすぎちゃだめだ。フラットな気持ちで食べるんだ。」

と言い聞かせて口に入れたカツ丼。

それは控えめに言って最高だった。ビッグバン的うまさだった。目の前がチカチカするくらいうまかった。

 

だしと強すぎないやさしい甘み、カツはちょっと薄めだけれど硬すぎず柔らかすぎず程よい。

言葉を発することを忘れてひたすらにかっこんだ。

過去にカツ丼を求めていろんな店を訪ねた記憶が蘇った。

そうか、私は食べ物の中で一番渇望するのはカツ丼だったんだって気付いた。

これからは毎週でも、求めるカツ丼が食べられる。

ああ、なんて幸福な出会いだろう。

むしろ、この7年間、この店の前を素通りしていたことが悔やまれる。

もし7年前から知っていれば、多分100ぺん以上は通ったんじゃなかろうか。

ああ、もっともっと食べたかった。悔しい。

うまいお店をみつけて悔しがるという体験は生まれて初めてだった。

 

カツ丼を食べて2日経ったけれど、もうすでにもう一度食べたくてうずうずしている。

なので、明日の夜はカツ丼を食べに足を運ぶ予定だ。

うまいカツ丼は人生のご褒美だ。折につけ、暮らしの中に折り込んでいくべきものだ。

7年間の空白を埋めるように、カツ丼を味わいつくすべく、足繁く通うつもり。

 

カツ丼、悔しいくらい愛してる。

以上、最高にうまいカツ丼に出会った話でした。

(今年の4月に書いた個人的日記より)

(あれ以来、多い時は週に1回、少なくても2週間に一回は足を運んでいる。)


毎日のごはん

 

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